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東京高等裁判所 平成8年(う)1314号 判決 1996年10月24日

主文

原判決を破棄する。

被告人を懲役一年一〇月に処する。

原審における未決勾留日数中四〇日を右刑に算入する。

この裁判確定の日から五年間右刑の執行を猶予する。

訴訟費用は全部、被告人の負担とする。

理由

本件控訴の趣意は、弁護人下飯坂常世及び同柏原允共同作成名義の控訴趣意書及び「控訴趣意書の補充書」と題する書面に記載されたとおりであるから、これらを引用する。

所論は、要するに、被告人を懲役一年四月の実刑に処した原判決の量刑は重過ぎて不当であり、被告人に対しては刑の執行を猶予するのが相当であるというのである。

そこで、原審記録及び証拠物を調査して検討すると、本件は、平成七年一二月一七日施行(同月一〇日告示)の茨城県つくば市長選挙に際し、立候補の決意を有していた被告人が、自己の当選を得る目的で、つくば市谷田部農業協同組合(以下「谷田部農協」という。)の理事(肩書は当時のもの。以下同じ。)二名又は三名と共謀の上、同選挙の立候補届出前である同年一〇月一一日ころから同月中旬ころまでの間に、同選挙の選挙人である谷田部農協の役員(理事又は監事)一七名に対し、それぞれ自己のために投票すること及び自己のための投票の取りまとめなどの選挙運動をすることの報酬として、現金五万円ずつ(合計八五万円)を供与し、また、谷田部農協のその余の役員三名に対し、それぞれ右と同様の趣旨で、現金五万円ずつ(合計一五万円)の供与の申込みをし、いずれもあわせて立候補届出前の選挙運動をしたという事案である。

本件各犯行に及んだ経緯や具体的状況などをみると、本件選挙に際し、被告人は、現職のつくば市長であったものの、有力な対立候補が早々と立候補を表明していたのに対し、被告人が立候補声明を出したのがかなり遅れた時期であったことなどもあって、現職とはいえ、被告人が再選を果たすことができるかどうかについては、必ずしも予断を許さない状況にあった。そうした情勢の中で、被告人のいわゆる支持基盤である谷田部農協は、その組合員世帯数が三〇〇〇戸余りの大きな組織であったことから、被告人らとしては、その組合員の中からできるだけ多くの者の支援を得て、確実に被告人に投票してもらうことができれば、本件選挙の帰趨に少なからぬ影響を与えるものと考えていたのである。そのような折から、谷田部農協の役員らが、同月一〇日朝方、被告人方を訪れて来て、大半の役員が署名している後援会名簿を被告人に手渡したりしてくれた際、被告人は、従来から熱心に被告人の選挙運動を手伝ってくれていた谷田部農協副組合長兼理事の甲川太郎と同理事の乙野次郎を被告人方の一室に呼び入れ、甲川らに対し、谷田部農協の役員の支持の状況などを尋ねた後、被告人が用意していた一万円札一〇〇枚とのし袋二〇枚を取り出して、甲川らに各のし袋に現金五万円ずつを詰めさせた。そしてその間、被告人は、甲川らと話し合って、同人らとの間で、谷田部農協の役員のうちの、投票することや投票の取りまとめなどの選挙運動をすることを頼むことのできる二〇名に、こののし袋に詰めた現金五万円ずつを渡すことにするという相談がまとまった。こうして、被告人は、「頼むよな」などと言って、甲川らに右のし袋二〇枚に入った現金合計一〇〇万円を持ち帰らせ、その後、甲川及び乙野が、一部については甲川らから話を聞いた理事丙山春男も加わって、右話合いに基づき、その翌日から同月中旬ころまでの間に、右の趣旨で、右二〇名のうち組合長兼理事を含む一七名の役員らに対し、直接又はその妻らを介して、それぞれ現金五万円ずつを手渡したりして供与し、その余の三名の役員らに対しては、それぞれ現金五万円ずつを手渡そうとして受領を拒絶されたり、いったん手渡した右現金を返却されるなどして、いずれも供与の申込みをするにとどまったのである。

本件のような選挙における買収行為が、民主主義社会の基盤をも掘り崩しかねない、極めて危険かつ悪質な犯罪であり、社会の腐敗を招くという意味で、倫理的にも厳しく咎められるべきものであることはいうまでもない。そして、本件は、右にみたとおり、被告人が、自ら一〇〇万円という多額の買収資金を用意して行った計画的、組織的な一連の犯行であり、具体的に本件のし袋を配って歩いたのは、共犯者である甲川らであるが、本件各犯行を立案し、かつ、首謀者であったのは、まさに被告人である。しかも、被告人は、本件当時、現職のつくば市長の地位にあり、本来、地方公共団体の長として、率先して、公明かつ適正な選挙を推進すべき立場にありながら、違法な手段を用いて自らの再選を果たそうとしたものであって、その意味でも、被告人は、厳しくその罪を問われなければならないのである。また、被告人は、本件選挙により、首尾よく再選を果たし、平成八年一月から、つくば市長として執務を開始したものであるが、このような結果それ自体も、公明かつ公正な選挙に対する有権者の信頼と期待を大きく踏みにじるものである。加えて、本件各犯行が発覚したことなどにより、同市の市政にも少なからぬ混乱や停滞が生じたことも否定し得ない。さらに、谷田部農協においても、右のとおり、組合長兼理事を含む役員の大半が、本件に関わったりしたことで、同年三月に開かれた緊急役員会で辞任を余儀なくされるという事態に立ち至り、あるいは、かなりの者が本件各犯行の共犯などとして処罰を受けているのである。しかるに、被告人の捜査段階における供述、原審公判廷における供述などをみても、被告人は、自己の責任を免れようとする態度が顕著というほかない。のみならず、被告人は、自分が行ったことにより、いろいろと右のような混乱した事態まで招くに至ったりしたことについても、果たして真摯に反省しているのかどうか疑問を抱かざるを得ないような言動に終始している。被告人がそのような態度をとったことについては、支援者らに対する配慮などという一面があったにしても、自己の行為が社会的にも倫理的にも厳しく咎められるものであるということにつき、被告人にはその自覚がほとんどなかったといわざるを得ないのである。

したがって、以上の諸点に照らし、本件の犯情はよくなく、被告人の刑事責任は、決して軽いものということはできない。

そうすると、被告人が、昭和四三年に谷田部町議会議員に初当選して以来、同町議会議長や同町長を歴任してきたこと、昭和六二年に町村合併によりつくば市が誕生した後は、同市の副市長や助役を経て、平成三年一二月の選挙で、同市長(同市発足後二代目の市長)に当選して今回の選挙を迎えるに至るまで、地域社会の振興、発展に貢献し、一定の業績を上げてきたこと、被告人が、本件で逮捕勾留され、相当期間身柄を拘束されていること、マスコミにより本件が広く報道されるなどして、すでに相応の社会的制裁を受けていること、被告人にはさしたる前科はないこと、被告人の年齢、健康状態その他、被告人のために酌むべき有利な諸事情を十分に考慮しても、被告人を懲役一年四月の実刑に処した原判決の量刑は、その言渡しの時点においては、やむを得ないものであって、これが重過ぎて不当であるとはいえない。

しかしながら、当審における事実取調べの結果によれば、原判決後の事情として、被告人が、平成八年一〇月一日に、家族を介して、つくば市議会議長に辞職届を提出し、二〇日間の経過により、同市の市長職を退職するに至ったこと、それに従い、兼務していた全ての公職からも退くことになったこと、被告人は、原判決時までは本件各犯行につき黙秘ないし否認をしていたものの、当審に至り、これを翻して、本件各犯行につき自己の責任を全面的に認めるに至ったこと、あわせて、今後は政治の場から身を引き家族らのもとで生活したいなどと述べて、謹慎の意を表明するに至ったことその他、被告人のために有利にしん酌すべき事情が新たに生じていることが認められる。そこで、前記諸事情にこれら原判決後の事情を合わせて量刑を再考すると、今回は、被告人に対し、その刑の執行を猶予するのが相当であると考えられ、したがって、原判決の量刑をそのまま維持するのは正義に反するといわなければならない。

よって、刑訴法三九七条二項を適用して、原判決を破棄し、同法四〇〇条ただし書により、更に被告事件について次のとおり判決する。

原判決が認定した罪となるべき事実に、原判決の掲げる法令を適用し、同様の科刑上一罪の処理、刑種の選択及び併合罪の処理をした刑期の範囲内で被告人を懲役一年一〇月に処し、刑法二一条を適用して原審における未決勾留日数中四〇日を右刑に算入し、前示の情状により同法二五条一項を適用してこの裁判確定の日から五年間右刑の執行を猶予し、訴訟費用は、刑訴法一八一条一項本文により、全部被告人に負担させることとし、主文のとおり判決する。

(裁判長裁判官 松本時夫 裁判官 岡田雄一 裁判官 服部悟)

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